聖霊降臨後第15主日
2007年9月9日 関口昌弘(信徒)
イエスさまの弟子とは
申命記29:1-8 フィレモン1-25 ルカ14:25-33
ルカ14章の「弟子の条件」の説教準備を始めようとしている時に、カトリック教会のセンセーショナルな記事に接しました。 はじめに、その内容についてお話します。
「教皇ベネディクト十六世 ペトロ岐部と187殉教者の列福を承認」 (福音宣教 2007年8月号)
カトリック教会は、イエス・キリストが述べ伝えた神の救いを信じ、神と共に生きて、多くの信者の模範となる人びとを、信仰を証しする聖人・福者と宣言し、その生き方の倣うよう奨励しています。
聖人:その記念日が全世界の教会で祝われる。 (日本人では、26聖人など42名)
福者:聖人の前段階である福者は、ゆかりの地域の教会で記念されます。(日本人では、1867年205名、今回の188名を加え合計435名になる。)
188名の殉教者は、徳川幕府の厳しい禁教政策のもとで信仰の自由を守り抜き、1603〜1639年全国各地で殉教した日本人です。そのうち5人は司祭・修道者、183名は武士・町人・家庭の主婦・農民・伝道士など老若男女の信徒たちです。
その筆頭が司祭ペトロ岐部:豊後生まれ(現大分県)(1587〜1639)迫害に苦しむ日本の信徒たちのために司祭になる決意をし、大陸を横断し徒歩でローマへ行った不屈の人。江戸で殉教。
ペトロ岐部の理想は、殉教の列福者三木パウロの取次ぎによって、将来日本全体がいち早く平和になって、主キリストにふさわしい花嫁になることであった。
ペトロ岐部を拷問の末殺した井上筑後守は、転んだと偽りの報告書を書くこともできる立場でありながら、「ペトロ岐部 転び申さず候」という重い一言を書き残した。それは、岐部への畏敬の言葉としか思えない。(福音宣教07年8月)
中浦ジュリアン:(現長崎県西海市生まれ1568〜1633 )天正の遣欧使節の一人として西欧と日本を結ぶ架け橋の草分けとして知られている。見せしめのため西坂で殉教。
188人の列福調査をした列聖省枢機卿委員会は、調査開始から25年もの歳月を要した。
その後、長い年月、潜伏キリシタン、かくれキリシタンの重い時代があります。
1858年 日米修好通商条約により外国人居留民地内の信教と礼拝の自由を承認
1865年3月、長崎大浦天主堂(26聖人聖堂)の出来事 「信徒発見」
宣教師プチジャンは、報告書の中で感動的に伝えています。
いつもとは様子の違う十人あまりの見物人たちの態度に気づきながら、聖壇の前で祈っていました。するとその中の一人の婦人が近づき神父の耳元でささやきました。
「ワレラノムネ アナタノムネ トオナジ」
「サンタ・マリアのご像はどこ。」
プチジャンは聖母のご像の前に案内した。
「ほんとにサンタ・マリア様だよ。御子ゼズス様を抱いておられる。」
約250年の沈黙を破って行なわれた「信徒発見」と「神父発見」の瞬間です。世界の宗教史に例を見ない唯一の出来事です。この後、長崎近郊に潜伏していた信者たちは、さらに伝達事項(「バスチャンの予言」)を確認するかのように、ひそかにプチジャン神父を訪ねては問いかけます。
更にその一ヶ月後の夜の出来事は圧巻です。外海の三人の信者たちは、小さな灯火を前に、先祖たちから伝えられてきた教えを万感の思いを込めてプチジャン神父に話しました。
一方神父も、フランスから持参した聖書と図解の要理を使って、教会の教えを一つひとつ説明します。すると、一つの話が終わるたびに感嘆の声を上げたといいます。
「はい、同じです。私どもも家で同じ話を聞かされております。少しも違いません。」
時と場所を越えて、同じ心、同じ祈りを持つ者同士が出会った計り知れない喜びの瞬間です。一人の司祭もいない地方教会で、約250年間教会の教えは歪曲されることも、時代に埋没することもなく、親から子へ、子から孫へ連綿と伝えられ、信者たちの消え入りそうな希望を支え続けたのです。これが日本の教会の信仰伝達(同じ心、同じ祈り)の原体験です。(福音宣教 1999年10月号)
以上は、全く信じられないような、しかし事実なのです。それを支えたものは、なんでしょうか。
時代は逆のぼりますが、1580年イエズス会は、信徒教育、司祭養成の為に有馬・安土にセミナリオ(修練院)、コレジオ(新学校)を開設します。(ラテン語・日本語で教育)
1590年に中浦ジュリアンなどの遣欧使節が活字印刷機を持ち帰っています。
1591年、1600年 「ドチリイナ・キリシタン」(キリシタン教理書)を発行しています。
内容は、教理問答書そのものです。キリシタンとは何か、デウスとは、クルスのこと、マリアのこと、十主の祈りのこと、戒のこと、使徒信条のこと など。
「病者を扶(たす)くる心得」(第一 貴きバウチズモ(バプテスマ)のこと 他)
「コンチリサンのりやく」=ゆるしの秘蹟に関すること。「痛悔(コンチリサン)」と「告白(コンヒサン)」
第4.「デウスにたちかゑ奉る罪人の申上べきコンチリサンのオラツ所のこと」
キリシタンの組織:司祭が追放されまたは殉教したため、各郷(地域)に「水方」「帳方」「聞役」が大きな役割を果たしました。また、当時の「組」は、使徒言行録に記されている信徒の共同体、13世紀のヨーロッパで誕生した自発的で自主独立運営からなる信徒信心組織(共同体)を想わせる。
「XXの組」は村や地域への奉仕が明確に意識されていることが、「ドチリイナ・キリシタン」にも示されています。
今日のテキストから 「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」
四百年前のキリシタンたちは、命を賭けて信仰を生きたのではなく、神に賭けて毎日を生きたのだと思います。神に賭ける姿勢は、日々の生活の中で問われています。その選びの積み重ねが人々を殉教へと導いたのだと思います。
私たちも、主と共に歩む歩みの中で、自分の十字架を背負って、思いと行いが導かれるように祈りましょう。 |